鉄の肌に、香が立つ。
お香に火を灯すと、香りをまとった煙はゆっくりと立ち上がる。
その香りを受けとめる道具を、鋳鉄でつくるとしたら。
重く、硬く、静かにそこに在りつづける鉄の塊と、
やわらかく揺れながら、やがて消えていく香りの線。
相反するふたつを重ねてみる。
[目次]
及源鋳造|OIGENが製作に取り組んだのは、香りのための小さな道具「香立」です。
台所道具をつくり続けてきた鋳物屋が、香りの時間に寄り添う鉄器をつくる。それは、鉄器の“はじまり”の技術と、その面白さに向き合うものづくりから始まりました。
創業170年「鍋釜やかん屋」が知る、鉄の時間

「南部鉄器」と聞くと、真っ先に思い浮かべるのは鉄瓶。もう少し詳しい方だと、鉄鍋、鉄フライパンのような台所道具かもしれません。
沸かす。
煮る。
焼く。
及源鋳造|OIGENは、鋳鉄の「鍋釜やかん屋」であるルーツを大切にしながら、暮らしの中で使われる鉄の道具を170年間作り続けてきました。
軽くて、くっつかない。
待たずにできあがる。
そんな便利さが長い間、あたりまえになっていた時代には、古臭いもの、不便なものと敬遠されたこともありました。
たしかに、昔ながらの、ずっしりと重く分厚い、鋳鉄という素材でできた道具たちは、ときに手間がかかる。ただ、その“手間”―手で触れる「間」にこそ宿る、実感があるのです。
じわじわと帯びていく熱。
湯が沸く音、煮える音。
焼ける香ばしさ。
立ち上る湯気。
手に感じる重み。
使い込むほどに深まる表情。
鉄器がある暮らしには、五感で触れる「間」があるのです。
一方で、鉄器には、調理の道具としての役割だけでは語り切れない魅力があります。
しっとりとした鋳肌。
光を受けて生まれる陰影。
そこに置かれるだけで、空気を少し変えるような存在感。
鉄の「香立」づくりは、鉄器という重厚で自由な存在を、自分を整える時間へと広げる試みとなりました。
鉄器のはじまり、石膏原型―それもまた継承する技術

ところで、鉄器の造形のはじまりは、「石膏原型」と呼ばれる模型です。橙色に溶けた鉄を鋳型に流し込むシーンが象徴的ですが、その出発点は石膏と呼ばれる白い粘土です。
今回取り組んだ「香立」では、石膏による原型づくりが大きな役割を果たしました。
しっとりと肌に吸い付くような質感の石膏を、幾度も指で触れ、へらで削り、形にしていく繊細な作業を繰り返していきます。
注がれる鉄が描く線。
鉄が固まり浮かび上がるフォルム。
取り出された鉄の凹凸に浮かぶ陰影。
それらを想像しながら、わずかな起伏や、面に残る揺らぎを整えていきます。 石膏で表現される機微は、それ自体が「造形表現」と呼ぶにふさわしいものです。
はじまりの伝統を引き継ぐ職人、ホン

そんな南部鉄器の知られざる技術の習得に励んでいたのが、OIGEN職人のひとりで、タイ出身のスープサイ・セースックでした。通称、ホン。
ホンはタイで彫刻を学び、モニュメントなどの立体造形の仕事に携わったのち、2023年に日本へ移住。南部鉄器職人を志し、及源鋳造の門をたたきました。現場では、「手込め」(※1)を担当しながら石膏原型の修行にも励んできました。
※1 「手込め」とは:溶けた鉄を流し込む砂で作った「鋳型」を、一つひとつ手作業で作る技術・工程のこと。
芸術家としても活動してきたホンにとって、石膏原型づくりは、及源鋳造の技術を学ぶ仕事であると同時に、新たな表現に取り組む造形の時間でもありました。
完成した鉄器の表面に見えるものは、手作業で作られた石膏原型に残された手の跡とも言えます。鋳肌の細かな表情は、素材と技術、そして手の動きが重なって生まれるものです。

「香立」では、その石膏原型ならではの、偶然と意図の狭間の“揺らぎ”を、活かすテーマに取り組むことになっていきます。
同時に、及源鋳造|OIGENにとって、香りの時間に寄り添う鉄器の姿を考える中で、職人・ホンの視点や感覚は、鉄鋳物という900年続く伝統の表現の面白さや可能性に、改めて気が付く時間となりました。
心静まる時間を、かたちにする
「見ているだけで、心が静かになるようなかたちにしたい。」
ホンのことばです。
ホンの故郷タイは、微笑みの国としても知られます。暖かな気候と豊かな自然があり、仏教の教えも人々の中に根付いています。“おおらか”なイメージのある国である反面、洪水や水害も多いのだそうです。自然の厳しさと向き合いながら、穏やかさを忘れない心持ちには仏教の教えが人々の中に息づいているからなのかもしれません。
変化し続ける環境の中で、自分の心のリズムを整えながら向き合う。その姿勢には「リラックス」という言葉だけでは捉えきれない、心の在り方が含まれているように感じます。
ただ休むのではなく、呼吸を整え、目の前の時間に心を戻していく。 「見ているだけで、心が静かになるようなかたち」は、そんな時間のためのかたちなのかもしれません。
OIGENが大切にしてきた、素材に触れ、五感で味わう時間。
異国の地から日本にやってきたホンがかたちに込める、静かな時間への思い。
そのふたつが重なり、香立の輪郭が少しずつ見えていきました。
鉄で描く、「静けさ」の情景
香立のモチーフを考えるとき、ホンが大切にしたのは「心が静かになる」ことでした。
自然の景色や、生き物の優雅な佇まいには、ただ眺めているうちに、時間の流れが少しゆるむような感覚を覚えることがあります。絶え間なく続く日常の中で、ふと心がほどける瞬間。
香りの時間に寄り添う道具として、そこに現れる「静けさ」をかたちにしていきました。
選ばれたのは、6つのモチーフ。
水面や砂、葉のように、自然がつくる質感や動きを写し取ったもの。亀や鯨、フクロウのように、生き物の気配が加わり、ふと目が合うような愛嬌を持つもの。
香立 水面と石
水面に石を放ったあとの波紋を写した香立。
音が消えたあとに残る、静かな余韻。ゆるやかに広がっていく水の動きを、鉄の面と陰影で表しました。
香立 岩と砂
岩と砂を写した香立。
風が通り過ぎたあとの砂のうねりや、自然が長い時間をかけてつくる表情を、小さな鉄の中に留めています。さらりとした鋳肌の手ざわりが、砂の質感とも重なります。
香立 バナナの葉
バナナの葉を細やかに写した香立。
タイの暮らしの中で、バナナの葉は身近な存在です。包むものとして、器として、調理の道具として、日々の暮らしに寄り添ってきました。
ホンにとって、風に揺れるバナナの葉の音は、幼い頃から身近にあった記憶の音でもありました。大きく広がる葉脈や、風を受けてしなる葉の表情を鋳鉄で表しています。
香立 蓮と亀
大きな蓮と一匹の子亀をモチーフにした香立。
大きく広がる蓮の葉に、雫がぽちゃっと落ちる。その気配に反応するように、子亀がふと顔を上げる。静けさの中に、小さな生き物の愛嬌がのぞくかたちです。
香立 波と鯨
愛らしい鯨と、力強くうねる波 をモチーフにした香立て。
不規則にうねる波と、そこに身を預ける一匹の鯨。波の造形には自然の力強さがあり、鯨の姿にはどこか親しみやすさを感じます。大きな海の景色を思わせながらも、アイコニックな愛嬌を感じるかたちです。
香立 梟
フクロウをモチーフにした香立。
フクロウは、日本では知恵や幸福を連想させる存在です。一方、ホンの故郷タイでは、よくない兆しを知らせる存在として語られることもあるといいます。
タイではネガティブに捉えられるからこそ、ホンは「その印象を香を焚く火で燃やし、煙とともに手放したい」と話していました。輪郭はそぎ落とし、静かに佇む形に整えています。
香りが広がるひととき、胸の中のこわばりも少しずつほどけていく。そんな時間にそっと寄り添います。
硬い鉄を、やわらかく見せること。無骨になりすぎず、思わず触れたくなる輪郭に整えること。鋳肌の美しさが際立つ佇まいを目指しました。
香りのそばに、小さな鉄の景色を
お香に火を灯すと、煙のゆらぎが香立の輪郭を引き立てます。
光を受けて変わる陰影。
肌に沿って流れる、香煙の細い線。
火を灯す前も、お香が消えたあとも、香立はそこに静かにあり続けます。
さらさらとした手ざわり。
しっとりとした冷たさ。
小さくも確かな重み。
目で追い、手で確かめるうちに、慌ただしい時間の中に、ふと静かな「間」が生まれます。「いま、ここ」に立ち返る情景。
及源鋳造が培ってきた鋳鉄のものづくりは、「香立」という小さなかたちの中で、また少し新しい表情を見せてくれました。
「初めて日本に来た時、暗い表情の人が多いと感じました。だから香立を使ってお香を焚いて、もう少し肩の力が抜ける時間が増えたらうれしい。」
ホンからのメッセージです。









